「万年筆使ってみるか?」と父が言ったとき、
私は何も感じずに、その頃のお決まりのようにただ頷いた。
高校生の頃の話。
「まぁ必要か、よいものか分からないけど、そう言われたので買ってもらうか」と、
まるで他人事のように、そんな風にだけ思った。
そのときの手の中には、箱に収められたLAMY Safari。
プラスチックの感触も見た目も、安ぽく感じた。
ずっと使い続けているわけではない。
20代後半から10年間は、ノマドのように横浜→神戸→名古屋→西宮→大阪と、
カレンダーに地名を走り書きするような日々でした。
引っ越しのたびに、段ボールの中か収納BOXの中か、どこかへ埋もれたSafari。
あの頃の私は、Safariが存在していたことすら思い出せませんでした。
でも──
Safariは、もう35年以上も私の元にいます。
LAMY Safari(ラミー サファリ)万年筆は、1980年にドイツのブランド「ラミー」から登場しました。
丸みを帯びたフォルムと、潔くそぎ落とされた装飾。
それなのに、見る者の目を止める、不思議な存在感があります。
買ってもらったのは、LAMY Safariが世の中にリリースされてから約10年経った頃。
まだ「〜沼」なんて言葉はなく、周りに特別なモノとは思えず、
「結局、万年筆って何がいいの?」とだけ私の心の中にありました。
実際に使ったところで、正直、最初は何も感じなかった。
書き味もピンとこない。
ペン先が紙に当たる音にも特別なことはない。
でもLAMY Safariは本物でした。
今もSafariは、限定カラーが毎年登場し、世界中のファンを魅了しています。
派手ではないけれど、ちゃんと主張がある。
その絶妙な色使いは、ショーウィンドウに並ぶたび、視線をさらっていきます。
そんなLamy(ラミー)も、万年筆界の老舗・Perikan(ペリカン)と比べれば後発。
Perikanは1838年創業、Lamyは1930年。
その差、約100年。
けれど──
「自分たちの色を出そう」と、Lamyは思ったのです。
それが、今の時代にもつながる「合理性と機能性」だったのかもしれません。


たとえば、キャップの頭には十字型のくぼみ。
グリップには指が自然と収まる溝。
手に楽に収まります。
インクの残量が見える窓や、転がらないフラット面。
大きなワイヤークリップが、しっかりとノートにとまる安心感。

合理性と機能性がもたらしたものは安心感です。
でも──
本当にすごいのは、そこじゃない。
Safariは、形はそのまま。
「自分のよいところを変える必要はないこと」の証です。
45年、変わらないその形。
何かを足すでもなく、削るでもなく。
「完成された姿」がそこにあります。
こうしたモノは
なぜか私の元を離れることがありません。

愛知県春日井市 在住
1973年3月10日生まれ